三井化学は、社会課題を化学式で解く会社。17,277人(連結 2018年3月31日現在)の従業員を抱え、素材メーカーとして一世紀にわたって社会と産業の発展を支えてきましたが、BtoBのビジネスであるという特徴から、プロダクトの価値が世の中に見えにくいという課題がありました。
この課題は、社員のモチベーションやロイヤリティにも大きく関わるとの認識から挑戦したのが、組織横断的なオープン・ラボラトリー活動「そざいの魅力ラボ(MOLp®)」です。
研究者がぞんぶんに遊べる”砂場”として設計された「そざいの魅力ラボ」は、社員の成長を促し、横のつながりを生みながら、コーポレートブランディングとしても成功。営業に関わるインバウンドの問い合わせにつながるなど、様々な方面から大きな反響を呼びました。
プロジェクトを企画したのは、人事ではなく広報部門。研究者のモチベーションをアップさせたその手法について、事務局を務める同社広報グループの松永有理さん(以下、松永。敬称略)にお話を伺いました。
松永有理さん/三井化学株式会社 コーポレートコミュニケーション部 広報グループ 課長
2002年神戸大学経営学部卒業。同年、三井化学入社。食品パッケージなどの素材であるポリオレフィン樹脂の営業・マーケティングを経て、2011年6月より現職。主にPR業務や社長発信資料に加え、製品マーケティング支援を担当。2015年より組織横断的オープンラボラトリー「そざいの魅力ラボ(MOLp®)」を設立、B2B企業における新しいブランディング・PRの形を実践している。
広報的な視点から始まったソリューション
–広報担当の松永さんが、オープン・ラボラトリー活動「そざいの魅力ラボ(MOLp®)」を立ち上げた経緯からお聞かせいただけますか。
2008年のリーマンショック及びその後のソブリンリスクを境に、我々のコア事業である製品群の需給バランスが大きく崩れ、これまで会社を支えてきた屋台骨が巨額の赤字を計上する事業に変わってしまいました。事業再構築の中で、工場閉鎖や事業売却などもあって、社内には強い危機感が生まれていました。
会社は事業ポートフォリオを変革して「新たな顧客価値の創造」をしていくことを宣言。それを受けて、広報担当として広報の機能・役割から自分たちに何ができるのかという課題に正面から向き合うことになりました。
必要なのは、将来のコーポレートブランディングに繋がるような発展性のあるプロジェクトです。後に「三井化学ってやっぱりそうだよね」と思ってもらえるように、自分たちが目指す世界観に向けて、帰納的な矢をたくさん打つべき*だと思ったんですよね。
*複数の施策を展開し、それらが結びつくことで、結果的に「三井化学」への理解を深めるアプローチ
–帰納的な矢の一つが「そざいの魅力ラボ(MOLp®)」だったのですね。
そうです。私たちのプロダクトといえば、「つぶつぶ」、「液体」、「ガス」なんですよ。
BtoBの素材メーカーという性質上、この価値を対外的に伝えることに難しさを感じていました。しかし、価値は形にして見せることが大事。社内外のコミュニケーションを担当する立場として、お客様にきちんと素材の魅力を伝える活動をする必要があると思ったんです。
また「消費者価値の深耕を通じて新たな顧客価値を創造しよう」と言われても、消費者との直接的な接点がない我々は、何をしたらいいのかわからず非常に悩みました。そこでまずは、どんな状態になることが顧客のため、ひいては消費者のためになるのかを考えました。
具体的には、「そうだ、三井化学に聞いてみよう」と、想起ブランドの上位に挙げてもらえるようになること、「三井化学に相談したらいろいろな答えが返ってくるよね、何かが実現できるよね」と実感してもらえる状態が目指す姿です。この状態をどうやって作るのか考え、その一つの答えとして、コミュニケーションを軸としたオープン・ラボラトリー活動「そざいの魅力ラボ(MOLp®)」を立ち上げました。
会社を知り、横とも繋がれる部活のような取り組み
—「そざいの魅力ラボ(MOLp®)」は、どのようなプロジェクトですか?
「そざいの魅力ラボ」は、「Mitsui Chemicals Material Oriented Laboratory」の頭文字と物質量の単位にちなんで「MOLp®(モル)」と呼んでおり、一言で、部活みたいなものです。
三井化学には45の部と室があるのですが、その中の15部門20名程度のメンバーが参加していて、毎月1回のペースで活動しています。当社の組織は縦割りなので、横の人たちが何を研究しているか分かっていないことも多々あるんですが、部活という枠組みであれば、共通する好きなことをするために隣のクラスや異なる学年の人たちが集まる場なので、横断的なプロジェクトとしてぴったりかなと。
*「MOLp®」には白衣のユニフォームがある。
—「部活」と聞くと、とても自主的で楽しさも包括された印象を受けますね。具体的にはどのような活動をするのでしょうか?
「感性からカガクを考えるラボラトリー」をコンセプトとしていて、プロダクトの機能的な価値だけでなく、そこに感性の軸を入れて魅力を再発見する取り組みをしています。
具体的な活動は、企業としての三井化学や、自社が持つ素材の魅力・価値について、時には外部の方も招いて議論を繰り返すところから始まりました。メンバーの多くは研究者なので、議論の中で生まれた小さな疑問を次の会までに解決してきたり、ちょっとした新素材を作ってくることも! そのうちに素材を生かすアイデアがどんどん溜まり、いろいろなモックアップが出来上がっていきます。
すると「自分たちが面白いと感じたものを、世の中の人にも聞いてみよう」という思いが強くなっていき、コミュニケーションとしてのデザインを入れ込み、いくつかのプロダクトを生みだしました。
*「MOLp®」プロジェクトで生まれたプロダクト「NAGORI ®(波残)」
海のミネラルから生まれたイノベーティブ・プラスチック NAGORI ®樹脂で作ったビアタンブラー。プラスチックでありながら「重量感」と「熱伝導性」を陶器に近づけ質感を再現。SDGs(持続可能な開発目標)におけるトレードオフ課題を見出し、ソリューション提案にもなった。2018年10月3日発表「2018年度グッドデザイン賞ベスト100」(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)受賞。
* 「MOLp®」プロジェクトで生まれたプロダクト「SHIRANUI(不知火)」
特定波長吸収技術を用いた色が変わるボタン。機能的な意味で色が変化する技術を、体験価値へと落とし込んだ。紫外線が当たることで透明な素材に様々な色が付きその変化を楽しめる。同素材でバングルも作成。
* 「MOLp®」プロジェクトで生まれたプロダクト「トーチ(懐中電灯)」
実際に作ったプロダクトは、「インテリア・ライフスタイル展」(2016年6月)や、単独イベント「MOLp®CAFE(モルカフェ)」(2018年3月)で展示しました。
「インテリア・ライフスタイル展」は、素材メーカーが出るような展示会ではありませんが、あえてそのような展示会を選んだ理由は、研究者の人たち(MOLp®のメンバー)に、消費者価値をプレゼンテーションする臨場感のある場所で、自分たちのアイデアが通用するのか、足りないことは何かなど、可能性や課題を体感してもらいたかったからです。
展示会は、自分が扱っていない製品についてもお客様に説明しなければならないように設計しました。人に説明することで改めて自社製品を理解します。それにより研究者1人1人が自社の幅広い製品の引き出しや知見を増やし、応用力と即応力のある研究者に成長してもらいたいとの思いがありました。
* 「インテリア・ライフスタイル展」(2016年6月)
その後に開催した「MOLp®CAFE」では、実際にプロダクトの販売まで行いました。お客様と研究者が直接コミュニケーションを取って販売し、共感を得ることは、通常の業務ではなかなか体験できないことです。自分たちのプロダクトの評価を体感することができ、誇りと自信に繋がったはずです。
*単独イベント「MOLp®CAFE(モルカフェ)」(2018年3月)の様子。研究者自らが商品について生き生きと語っている。
出入り自由な部活という形態が「ティール組織」を生んだ
–メンバーはどのように集めたのでしょうか?
基本的には有志を募りました。先ほど「部活のような取り組み」と話しましたが、MOLp®は就業時間内に活動を行うので、条件があるとしたら上司を説得してくることですね。文字通り出入り自由ですし、この活動が人事評価に直接反映されるわけではないので、所属部門の業務が忙しくなった場合は、そちらを優先してもらっています。
実際、業務と並行した取り組みなのでどうなるかと思いましたが、参加したメンバーの多くがとても能動的に関わり、活き活きと活動していたように思います。
–部門を超えたメンバーが集まっていますが、どのような組織体なのでしょうか?
事務局はありますが、組織としてはフラットです。メンバーの役割も最初から決まっているものなどありません。各自がアイデアを出し合ってディスカッションを深めていき、プロジェクト化していくことでアメーバ状のチームができていきます。
結果として気づいたことですが、MOLp®は「達成型組織」ではなく自主性を重視しているため相互進化が起こりやすく、よりオープンになりコラボレーションが生まれやすくなります。あの人がここまでやっているんだから自分もやってみようと、チャレンジする人も出てくる。
つまり、メンバーが持っている能力を知り、相互理解が進むことで自主性が生まれ、どう貢献できるかという、MOLp®での存在目的を持ち始めるんです。こうしたサイクルがうまく回っていたと思います。これは次世代型と言われる「ティール組織」に近いものなのかもしれません。
会社と個人の可能性を知ることが、ロイヤリティを高める
–広報視点ではどのような成果が得られましたか?
たとえば「MOLp®CAFE」では1,200名以上の方々に来場いただき、さまざまなメディアでも取り上げていただきました。広報としてはそれなりの効果を得ることができていますし、MOLp®を入り口にたくさんの開発相談もいただいています。
–人事的な成果はどうでしょうか?
大きく2つの効果がありました。1つは、この取り組みを通して、他の部署がもっている価値(知らなかった素材やその強みなど)を知ることで、会社全体が持つ可能性をより広く捉える機会となったことです。これまで部分的にしか見えていなかった会社の姿が、取り組みが進んでいくにつれ、どんどん立体的に見えていったはずです。
もう1つは、横のつながりによって生まれた効果です。メンバーの多くは研究者なので、通常の業務では自分の分野の中で模索しトライをするのですが、「MOLp®」は組織横断プロジェクトなので、異なる部門の人の研究や考えを目の当たりにするわけです。すると、「それなら自分はこんなことにチャレンジしよう」とか、「もっとこんな視点で発想できるはず」と、インスパイアされたりもする。他の研究者と接点をもつことで、自身の知識の幅が広がり、大きな成長を感じた人が多くいました。
またMOLp®Cafeというイベントでは「素材をつくるところから、売るところまでを体験する」形態をとったことで、副産物としての効果もありました。
当初私は、プロダクトを売るプロセスまで踏み込まなくていいだろうと考えていました。しかし、研究のトップから「研究者が自ら作って自ら売る体験をすることが重要だ」と意見をもらい、挑戦してみようということになりました。その結果、自らを一消費者として捉えなおし、モノの価値と共感について考えることができました。つまりは、消費者価値の深耕を通じた素材開発を実践できたんです。このプロセスの中で自らの仕事に自信を持ち、結果的に会社へのエンゲージメントをより一層強めることができたと感じています。
–参加したメンバーからはどんな声が上がっていますか?
多くのメディアでも取り上げてもらいましたので、そのことが励みになっていたり、今までの業務では決して出会うことのないような方々と一緒に仕事をする機会を得られたことは嬉しいようです。また、この活動で会社全体を知ることができ、「自分の会社はこんなこともやっていたんだ!」と誇りに思えた、という話もありましたね。
何よりも、メンバーの目や表情に大きな変化がありました。「MOLp®」のメンバーは、今ではそれぞれが所属する部署でも中心となる存在になっているようです。
*2018年3月の単独イベント「MOLp®CAFE(モルカフェ)」プロジェクト参加者の集合写真
–今後の活動はどのように考えていますか?
新しくメンバーに入りたいと言ってくださる方もたくさん出てきて、新旧メンバー入り混じりながら継続していきます。そもそも“砂場”をコンセプトにした活動で、メンバーも自由に出入りしていますしね。それに、MOLp®という活動があろうがなかろうが、関係ないんです。存在が無くなっても文化として残っている、そんな状態になることが大きな目標です。
自然とメンバーが集まり、いたるところで顧客や社会に貢献するための横断的なプロジェクトが生まれている。そんな状態になっていると楽しいですね。あらゆる産業と繋がっていて、イノベーションの起点でもある「化学」ですので、そうなる可能性が大いにあると思います。
(編集後記)
組織が大きくなるということは、多くのメンバーでより大きなことを実現できる可能性がある点でとても魅力的です。しかし、部門という縦割りによって「会社のもつ可能性」が流通しないという課題が生まれることも少なくありません。
会社のもつ可能性は、会社のビジョンや他部署の技術、社内の人材から見えてくるもの。この可視化に加え、自分の仕事が社会と繋がり認められているという実感を得ることは、組織エンゲージメントに欠かせない要素といえます。
三井化学の取り組みは、会社(縦軸)と個人(横軸)の可能性、それぞれを体感することができる点においてとても優れていました。
2つの視点を掛け合わせたアプローチは、社員のモチベーションやロイヤリティ向上を期待できる手法として、多くの企業で参考になるのではないでしょうか。
編集・撮影:八島朱里
文:さとうともこ