クラウドサービスをはじめとするBtoBソリューションの領域では、近年「Sales Enablement(セールス・イネーブルメント)」という概念が注目を集めています。簡単に言うと、人材採用、研修、CRMなど営業活動の改善に欠かせない要素をトータルに捉えて効率化・最適化するという考え方。
日本ではまだそれほど馴染みがありませんが、たとえばCRMで世界No.1のシェアを誇るSalesforce.comでは早くからSales Enablementに取り組み、人材育成のシステムを徹底強化することで飛躍的に営業力を高めてきました。
そうしたなか、クラウド名刺管理サービスを提供しているSansan株式会社では、今年4月にSales Enablement グループが発足。「チーム経営」をテーマに掲げて独自のフレームワークを構築し、営業の仕組み化に取り組んでいます。マネージャーの畑井 丈虎(はたい たけとら)さんにお話を伺いました。
畑井 丈虎さん / Sansan株式会社 事業企画部 Sales Enablement グループ マネージャー
東京工業大学卒。2015年4月にSansan株式会社へ入社し、エンタープライズ営業を経た後、シンガポールで現地の営業基盤作りに奔走。2018年4月からはSales Enablement グループを立ち上げ、営業組織の強化に取り組んでいる。
営業の外から営業組織を強くする
–まず、Sales Enablement グループの組織的な位置付けとミッションついて教えてください。
経営企画を担当する事業企画部という部署があって、その下にグループとして所属しています。開発やマーケティング、インサイドセールス、人事、カスタマーサクセスと横断的に連携しながら、営業組織を強くしていくのがミッションです。
–営業の強化をミッションとしながらも、営業部に直接紐づいているわけではないんですね?
そうですね。そこが一般的な営業企画との違いかもしれません。
営業企画の場合、売り上げの数値管理や研修、CRMの導入など、各々のタスクはあくまで営業スタッフのためだけのもの、つまり営業のなかで閉じている組織だと思うのですが、弊社のSales Enablement グループはもっと大きなイシューを捉えています。営業部としてのビジョンやバリューの策定から、他部署とスムーズに情報共有するための枠組み、採用戦略にいたるまでの全体設計を担当しています。
–具体的にはどういったことに取り組んでいるのですか?
この4月にグループが発足して、まず「Sansan7E」というフレームワークをつくりました。ひと言でいえば、一流の営業組織に共通するポイントをまとめたものです。
営業は「人」、「情報」、「組織」の3つの要素から成り立っています。「人」には教育システムに裏打ちされた個々の営業スキルとモチベーション、「情報」にはCRMの活用とナレッジ・成功事例の共有が含まれます。あわせて「組織」には明確な運営ルールと人材採用が欠かせません。それぞれを明文化し、有機的なつながりを視覚化したのが「Sansan7E」です。
*「Sansan7E」
さらにこれをもとにして、各営業チームの「V2MOM(※)」を決めました。弊社の場合、営業チームごとに中小企業、ミドル、エンタープライズと担当する領域が分かれているので、チームごとに2年スパンの中期計画を立て、Sales Enablementグループが四半期ごとに振り返りをしていく仕組みにしました。
これまでは売り上げ目標が降りてきて、具体的なアプローチについてはマネージャーの裁量に任されていたのですが、ビジョンやバリュー、メソッドを明文化したことで部長とマネージャーの間に共通言語ができ、コミュニケーションがとりやすくなったと思います。
※Salesforce.comが開発した目標設定のフレームワーク。「VISION」、「VALUES」、「METHODS」、「OBSTACLES」、「MEASURES」の5つからなる。
–これまで行った施策として他に具体的な事例はありますか?
いくつかあるのですが、まず営業メンバーに対する部分だと、教育システムの構築ですね。
BtoB営業はフェーズ管理が大切なのでそのためのメソッドや成功事例、商談準備の進め方などを研修内容に落とし込んでいます。さらにこれまで獲得した案件を構造化してプレゼンするという教育プログラムも作成しました。「大型案件を受注するための10項目」といったものです。
一方でセールスに携わる各部署の連携を高めるために、案件がクローズするまでのフェーズを細分化してSalesforce上で共有できるようにしました。
たとえば、クロージングだけでも担当者レベルでの合意、意思決定者の合意など6つの段階に分けているので、「ここの段階まで来ていれば、そろそろ…」という感じで、カスタマーサクセスの初動も早くなります。
“野武士の集団”からチーム経営へ
–そもそもSales Enablement グループが発足するまでにはどういった経緯があったのでしょうか?
直接のきっかけは、事業部として50%成長を目標に掲げたことです。毎年50%の成長を続けていくためには営業の人員増強が欠かせませんが、たとえ人を採ったとしても、これまでのSansanには育てていくための教育システムや標準化されたナレッジがなかったんです。
「Sansan7E」以前の弊社は、ひと言でいえば野武士の集団みたいなもの。営業はリーチするマーケットを自分で決めて、1人で企画書をつくり、1人でアプローチして、クローズまで持っていく。力のある営業マンが自力で売っていく組織でした。
–属人化していたと。
そうですね。そういったなかでも売り上げ自体はすごく伸びていたし、社員の数もまだまだ少なかったので、何とかなってしまっていたのかもしれません。ですが、やはり会社として次のステップを掲げて人も増やすとなると、組織の枠組みをしっかり決めて、みんなで歩調を合わせていく必要があります。実際のところ、営業部のメンバーは、直近2年間に入社した社員が大半を占めていますし。
–なるほど。そうした背景があってSales Enablement グループが発足し、これまでさまざまな枠組みを構築してきたと。実際、社員の働き方や仕事の進め方はどう変わりましたか?
短期的なところで言うと、まず営業メンバーの独り立ちまでのプロセスが効率化されました。これまでは営業組織としての教育システムがなかったので、新しいメンバーが入ってくるとチームのなかでリソースを割いて細かいことまで手取り足取り教えていました。
要は「現場が育てないと」という考え方だったんですが、プログラムを作って、Sales Enablement グループが教育プロセスを巻き取ったことによって、メンバーの独り立ちも早くなったし、教える側のストレスも減りました。まだスタートして半年ほどなのできちんとした効果測定はこれからですが、確かな手応えはありますね。
一方、中長期的なところでは、V2MOMを明文化して2年スパンの目標を定めたことによって、現場のマネージャーと部長で認識が合わせやすくなったと思います。
–部署間の連携については?
先ほども少しお話しましたが、Salesforceで案件フェーズを共有するようにして連携が高まりましたね。新規開拓のためにマーケティングがどれくらい予算を組むか決まったら、インサイドセールスは何件アポをとるか、営業はどうクロージングするか決める。部署間の目線が合うようになりました。
あとは、クローズまでのフェーズを細分化したのも大きいと思います。カスタマーサクセスが進捗状況のステータスから見込み案件の数を把握できるようになって、あらかじめリソース配分できるようになりました。いきなり案件が降ってきて「聞いてない…」と慌ててしまうケースはほとんどなくなったはずです。
–つまり、野武士の集団からチーム同士で連携して動けるようになったと。
そうですね。ただ、それだけにもっと早く導入できていれば、という反省点もあるんです。
去年の話なんですが、メガバンクから立て続けに受注して事業が大きく上向きました。あのタイミングで「Sansan7E」をはじめとする今の枠組みが整っていればさらにレバレッジを効かせられたと思います。
事業が軌道に乗ったことで中心メンバーの異動希望が相次いだり、売り上げに対して人員計画が追い付いていなかったり、導入できなかった理由はいくつかあるのですが、正直なところ、もう1年早くやっていればよかったと。
Sales Enablementのチームづくりに必要な3つの要素
–ここからはSales Enablementに取り組もうとしている他の企業にとってヒントになるようなお話を伺えればと思います。Sales Enablementのチームを作るうえで、メンバーにはどんなスキルセットが求められますか?
大きく3つあると思います。
まずは営業としてのスキル。新しい仕組みをつくるためには、自分自身がプレイヤーとして「こんな仕組みがあればいい」という感覚が絶対必要です。その点で営業としての経験値や実績はやはり欠かせません。
2つめは、外部からベストプラクティスを持ってくる力。たとえば弊社でも案件フェーズをゼロから作り変えるのは難しかったので、Salesforceさんのフェーズをベースにしています。自社の課題をしっかり捉えたうえで、他社の仕組みや施策を持ってきてきちんと落とし込む能力、「これいいな!」と思える感覚というか、ある意味でコンサル的な視点が必要だと思います。
3つめは内部掌握できる力ですね。全社的な枠組みをつくっていくためには、独りよがりにならず、メンバー1人ひとりとの信頼関係を築いていくのが何より大切だからです。
–これまで苦労してきた点は?
わたし自身はそこまで苦労はしていないかもしれません。企画を作るのはもともと好きでしたし、グループを立ち上げる時点で他の部署の部長とアライメントが取れていたうえ、営業チームで一緒にやっていたメンバーと始められたので。
あと、自分で言うのはおこがましいのですが、これまで営業としてしっかり販売してきたので、現場のメンバーがついてきてくれた、支えてくれたというのもあるかもしれません。
–ここまで伺った話から、SansanさんはSales Enablementを始める時期、その時点での事業規模、畑井さんをはじめとするメンバーの課題意識など、いろいろな要素が組み合わさって良い方向に回っていると感じます。加えて、Sales Enablement グループをあえて営業部の外に置いたことも大きいと思うのですが、その点については?
そうですね、営業はやはり直近の売り上げが第一なので、その下に入っていたら今やっているような中長期的な企画を進めるのは難しかったかもしれません。あと、他の部署と横断的に関わりながら進めていく仕事なので、その点でも営業部と直接紐づいていないことで、より俯瞰的な視点を持つことができたと思います。
–畑井さん自身が感じている今後の課題について教えてください。
課題はあります。
1つは「Sansan7E」で明文化している「モチベーション」に対する具体的な打ち手が決まっていないこと。個々のメンバーの当事者意識をどうやって高めていくかという観点です。たとえば、売り上げが立たなかった時に「リードが少なかったから…」という言い訳にならないように、フィードバックの仕方も含めてどういう施策を打っていくかというのは大きな課題です。
また、部署間の連携についてもSalesforce上で横断的に情報を見られるとはいえ、まだまだ十分ではありません。BIツールを使って視覚化したり、そうした施策も進めていきたいと思っています。
— イベントの案内 —
畑井さんも登壇されるイベント「いま知っておきたい新しい人材育成の仕組み“セールス・イネーブルメント”とは」が12/6(木)に虎ノ門ヒルズで開催されます。ご興味を持たれた方はぜひ足をお運びください。
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(編集後記)
Sansanでは営業部の外にSales Enablement グループを置き、他の部署と協業しながら組織としての枠組みを定め、セールスの強化を図ってきました。
目指すのは、それぞれが明確なビジョンやKPIを持ちながら綿密に連携し、成果を出していくチーム経営。明確な目標と評価の仕組みがあってこそ1人ひとりの力がいかんなく発揮され、成長をアシストする仕組みがあってこそ社員の当事者意識が育まれ、人と組織のエンゲージメントも高まるのだと思います。
Sansanさんの取り組みは、営業の組織体制に課題を抱えている企業はもちろん、人事や総務、経理などの枠組みを整えていきたい企業にとっても大きなヒントになるはずです。
< 取材者プロフィール >
野崎耕司
@Engagement編集長 / 株式会社トラックレコード代表取締役(共同経営者)。DeNAでの人事プロジェクト「フルスイング」の責任者、MERYの雑誌事業責任者やブランディング責任者などをつとめ、株式会社トラックレコードを2018年に設立。
https://twitter.com/nokonun
文:斎藤良
撮影:大木慎太郎 (fort)