トヨタ、NTTドコモ、日本経済新聞社などナショナルカンパニーをクライアントにもつデザイン・イノベーション・ファームのTakram。
Takramでは“越境性”と“超越性”というコンセプトのもと、「ナレッジチェーン」という仕組みを取り入れることで、メンバーのスキル・ノウハウを相互に伝播させ、デザインとテクノロジーとビジネスも高い次元で融合させています。
「ナレッジチェーン」とはどんな仕組みで、具体的にどういった効果があるのでしょうか。運用するにあたっては、どんな課題があるのでしょうか?
今回の取材では、株式会社ディー・エヌ・エーから野田竜平さん(以下、野田)をインタビュアーとしてお招きし、Takramの櫻井稔さん(以下、櫻井)にお話を伺いました。
櫻井 稔さん/Takarm ディレクター, デザインエンジニア
https://twitter.com/sakuraiminoru
デザインから考えるコンピュータ環境の研究・製作を行う。ビッグデータビジュアライゼーションや3Dプリンティング・UI/UX領域について積極的に取り組んでいる。2年間のインターンシップを経て2014年、Takramに参加。2007年未踏ソフトウェア創造事業スーパークリエータ認定。2014年東京藝術大学美術研究科デザイン専攻博士後期課程修了。代表作に「日本科学未来館・地球マテリアルブック」、データサイエンス支援ツール「DataDiver」のUI設計・デザイン、日本政府のビッグデータビジュアライゼーションシステム「RESAS –地域経済分析システム–」のプロトタイピングなどがある。グッドデザイン金賞など受賞多数。
野田 竜平さん/株式会社ディー・エヌ・エー ゲーム・エンターテインメント事業本部HRBP
DeNAに2012年新卒入社。ECモール事業におけるECコンサルタントを経て新卒採用グループに異動。エンジニア採用、デザイナー採用、デザイン戦略室の新卒採用及び育成を担当した後、デザイナー組織のブランディングやAIスペシャリストコースの立ち上げを経験。その後、ピープルアナリティクスを応用した全社の人事制度企画と、採用ブランディング兼任し、現在はゲーム・エンターテインメント事業本部付けのHRBPとして異動・評価など組織開発に従事。採用・人事キャリアとしては計約4年。
ノウハウを伝播させるナレッジチェーンとは?
野田:現代は「コト消費」の時代と言われていますよね。特にBtoCの製品・サービスでは機能や価格に加えてクリエイティブが重要視されるようになり、ビジネス雑誌やwebメディアでも「デザイン経営」「デザインエンジニアリング」といった言葉を目にする機会が増えてきました。
ただ、実際に自分の会社でデザインのための組織や部署を起ち上げようと思っていても、何から始めればいいのかわからず、二の足を踏んでしまっている経営者は非常に多いと思うんです。
僕自身は経営者でもデザイナーでもありませんが、現在はデザイナーの組織の専属人事としてデザイナーの採用・育成・組織開発に携わっていることもあって、「デザイナーが最大限力を発揮できる組織って何だろう?」と常々考えています。
そこで今回は、クリエイティブの組織を作りマネジメントをしていく一歩を踏み出すためのヒントになるようなお話を伺えればと。
まずは「ナレッジチェーン」の概要から教えてください。
櫻井:ひと言でいうと、各メンバーを得意分野のプロジェクトと不得意分野のプロジェクトに50%ずつアサインするという施策です。
たとえばUIデザイナーなら、デザイン力が発揮できるプロジェクトを担当しつつ、もう一方でプログラミングのスキルが求められるプロジェクトも掛け持ちする。おのずと得意プロジェクトでは他のメンバーにノウハウを教える先生としての役割、不得意プロジェクトでは生徒の役割を担うことにもなります。
Takramでは部署という形でメンバーの担当領域を決めていません。ナレッジチェーンを前提に案件ベースでチームを編成し、全メンバーを同時期に2つ以上のプロジェクトにアサインしています。
野田:不得意分野のプロジェクトにアサインするのは、経営観点では非効率とも言えるのではないでしょうか?
櫻井:どの目的地を目指すかの考え方の違いですね。
たとえば5人分の働きができる優秀なUIデザイナーをUI設計のプロジェクトに専念させれば一時的に成果は高まります。ただ、中長期で見るとその人材のスキルが固まってしまうリスクがあるとも言えます。Takramでは、一人一人のメンバーが複数のスペシャリティーを持つことを大事にしています。
また、同じプロジェクトに半人前のデザイナーも一緒に参加させると、確かに当初は全体としてのパフォーマンスが下がるものの、5人力のデザイナーからノウハウを学んで一定期間で2人力まで成長すれば、掛け算で考えると5×2で最終的に10人力の成果が得られる可能性もあります。仮に、0.5人力にとどまってしまったとしても、5×0.5なら2.5人力、2人分を上回る成果が見込めるわけです。
感覚的には、0人力から書籍などを読んで自分で0.2人力になることが可能で、0.2人力の人材がトガった人材と一緒に働くと3か月で0.5人力になって、そこから約半年で1人力になる、というのが平均的なタイムスパンです。
育成のコストはかかりますが、その点は一般的な新人研修でも同じこと。それほど難しくは考えていません。
野田:あくまで中長期的な相乗効果を重視していると。ただ、今おっしゃったような掛け算が成立するためには、前提として卓越したスキルや知識を持つ人材が必要ですよね?
櫻井:おっしゃる通りです。実際、採用に関してはかなり慎重に行なっています。条件としてはまず、デザインやプログラミングといった何らかのスペシャリティーを持っていること。経験やスキル・知識そのもののバリューはもちろんですが、何か1つのことを掘り下げてきた人は、学び方も身に付いているんですね。
学びには、われわれが大切にしている「4つのA」*と呼ばれるプロセスがあります。1つの領域を深掘りした人は、それぞれのプロセスで突破すべき壁を知っているので、他の領域でもよりスムーズに学べます。そういった点でもスペシャリティーは欠かせません。
*エイドリアン・スライウォツキーによる4つのA : Awareness(気づき)→Awkwardness(違和感)→Achievement(達成)→Assimilation(無意識下)
それともう1つ、非常に大切にしているのが「越境性」です。
BTCトライアングルと「越境性」・「超越性」
野田:Takramさんが提唱している「越境性」については、Web記事などでも目にしたことがあるのですが、あらためてどういった考え方なのか教えてください。
櫻井:ベースとしてあるのはTakramの「BTCトライアングル」という概念です。
いま、多くの企業は何が問題なのかを定義すること自体が難しい課題、いわゆる「Wicked Problem」を抱えています。たとえば自動車メーカーが10年先を見据えて新車を開発しようとしても、今のニーズと2030年のニーズは大きく変わっている可能性がありますし、現時点で優れているとされているwebやアプリのデザインにしても、インフラが変われば他の選択肢が生まれてきます。
つまり、マーケットの再編や技術革新がどんどん進むなかで、エンジニアリングだけで解決できる課題、デザインだけで解決できる課題というものが非常に少なくなってきているんですね。
そうした複雑な状況をB(ビジネス)・T(テクノロジー)・C(クリエイティブ)の視点を融合させることで、ベターな状態に近づけていこうとするのが「BTCトライアングル」です。
各分野の担当者がそれぞれ別の視点から議論するのではなく、1人ひとりがBTCのハイブリッドな視点を持ち、クライアントの課題や将来像を構造化して捉えていくというのがTakramの基本的なスタンスです。
そのためには、「越境性」(物事を複側面から捉えられる性質)と「超越性」(越境したうえで物事を俯瞰的に捉えられる性質)が欠かせません。この2つを獲得するための具体的な手法として、先ほどお話したナレッジチェーンがあり、採用の際も「越境する志向があるか」という点をポイントに置いているんです。
ナレッジチェーンを運用するうえでのポイントと課題
野田:ナレッジチェーンを運用するうえで気を付けていることや課題はありますか?
櫻井:1つは中長期的な視点を持つことですね。
ひと言に得意・不得意といってもメンバーそれぞれ程度の違いがありますし、別の領域での成長スピードにも差はあります。ある意味属人的な要素が強いので、短期での成果にとらわれ過ぎず、中長期的にわたって雇用し続けることを前提にしています。人材の流動性が高い会社、人の出入りが激しい会社だとナレッジチェーンを実践するのは難しいかもしれません。
もう1つは次の越境をするタイミングです。
「越境」というコンセプトを掲げていて、メンバーもそれに共感して入社してきた人たちではありますが、新しいことを始めるのはやはり誰でも不安ですし、「まずは深めてから広げたい」というのが普通の心情だと思います。
そこで「次!」「次!」となってしまうと、「結局、自分は何屋さんだっけ…?」ということになってしまうので、1人ひとりがある程度「深められた」という実感が得られてから、次の領域にチャレンジできるようバランスをとりながらタイミングを見計らっています。
また、デザイナーやエンジニアは常にエスカレーターを逆走しているようなもので、日々新しい技術が出てくるので自信あるスキルも磨き続けないと風化してしまうというリスクもあります。そのため、越境し続けているだけでもダメで、ときには改めて自信あるスキルを発揮する場を設けないといけません。
野田:得意な人が不得意な人に教えるというナレッジチェーンの構図だと、教える側の成長が止まってしまったり、停滞感を感じてしまったりすることもあるのではないでしょうか。
たとえばハイスキルなエンジニアがいたとして、自分ともう1人優秀なメンバーがいればプロダクトを作れるのに、初心者3~4人にコードレビューしながら進めていかざるを得ないシーンはよく見られると思います。そうなると刺激もないし、モチベーションの低下につながったりはしませんか?
櫻井:1つのプロジェクトに固定してしまうと、たしかにそういったケースが起こりますね。ですので、先ほどもお話した通り、必ず1人2つないし3つ以上のプロジェクトにアサインしています。
たとえば先生としての役割が求められる案件に入ったら、同時並行してバイプレイヤーとしての能力が活かせる案件、刺激が得られる他分野の案件にもアサインする。「1人2つ以上」というのはTakramの経営陣の取り決めでもあるんです。
あとモチベーションという点に関していうと、プロジェクト終了時のレビューMTGは非常に大切にしていますね。アウトプットやプロセスの振り返りとあわせて、越境によって誰が何を成し遂げたかそれぞれのチームから発表・共有してもらっています。
野田:メンバー全員が越境しているからこそ、苦労はわかるし、素直に称賛できると。一方で、ナレッジチェーンの課題についてはいかがですか?
櫻井:メンバーがプロジェクトにロックされてしまいがちなことですね。
クライアントの要望との兼ね合いにはなるのですが、Takramでは3ヵ月~半年スパンの中長期のプロジェクトが中心で、量より質を求められる案件が多いので、どうしてもクライアントから「今回は〇〇さんでお願いしたい」という声があがります。
そのなかでいかに流動性を高めていくか。方法の1つとしてはコンセプトワークが終わって開発に移る際など、フェーズと課題が変わる局面でメンバーをシャッフルしたり、いろいろ工夫しています。
野田:アウトプットのクオリティを担保する必要もありますし、アサインはいろいろと難しそうですね。
櫻井:そうですね。理想としては全員がすべてのプロジェクトに関わって欲しいんですが…、たとえば同じプロジェクト内でも、ビジネスの話をしているメンバーとPhotoshopでパース画の描き方について話しているメンバーを翌日から一気にシャッフルするというのはさすがに無理です。
まずは近いレンジである程度の越境性を確保したうえで、遠い領域とジャンプしたり、メンバーの成長を確かめながら、どうバランスをとってやっていくかというのも今後の課題だと思います。
(編集後記)
Takramは「デザインとエンジニアリングの交差点で仕事をする」という代表・田川さんの考えのもと2006年に設立。その考えを実践するための施策の一つとしてナレッジチェーンという仕組みを取り入れ、メンバーを横断的に複数のプロジェクトにアサインすることで、組織としてのクリエイティビティを高めようとしています。
今回お話を伺ってとりわけ印象的だったのは、短期的なコストや非効率をネガティブに捉えていないこと。根底にトップをはじめとする経営陣の明確なビジョンがあるからこそ、ナレッジチェーンのような施策が奏功しているのだと感じました。
デザインはなかなか定量化しづらいもの。それを経営・組織に取り入れるのであれば、まず一歩目は「デザインに対する経営としての強いビジョンを持つこと」であり、そこに対して「中長期的に投資していく覚悟」が必要条件なのだと感じました。
取材・編集:野田竜平
文:斎藤良
撮影:杉本晴